コプリフシティツァはブルガリアで一番最初に「美術館都市」宣言をした町。ソフィアから列車で2時間。14世紀にオスマンの侵入で土地を追われた人達が、隠れ住んだ。18世紀頃から商業で街は潤い、スルタン(皇帝)からも軽減と武器の所有を許された。19世紀に商人達が競って豪邸が建てた。1831年に建てられた、四月蜂起の首謀者ゲオルギ・ベンコフスキの生家がある。
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ベンコフスキハウス付近から |

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ベンコフスキ・ハウス
1831年に建てられた。
四月蜂起の首謀者ゲオルギ・ベンコフスキの生家。 |

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ベンコスキハウスのそばにある像
町を守っている |
2010年11月 |
前日ソフィアにイスタンブールから到着した。ブルガリア観光の初日はこのコプリフシティツァだ。トルコ支配下でも商人の町として特権を持っていたので、お金持ちの豪華な家が多い。四月蜂起の首謀者達がこの町出身で、家の中には資料の展示があった。ブルガリア人には英雄が出た憧れの美しい町だ。イワン・ヴァーゾフの「軛の下で」を読んでいたので、この町に行けたのは本当に良かった。
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リュトフ・ハウス |

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カブレシュコフ・ハウス
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家の中 |

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家の中 |

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蜂起の資料の展示 |

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詩の展示 |
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エピソード |
どこから来たの? |
ガイドの説明にあきた夫は、一人で皆が書き込むコメントのノートを読んでいた。ふと気が付くと、周りにに子供達が一杯居て夫を見ていた。
夫のブログから
とりあえず「ハロー」だ。
皆返事してくれた。それからが大変。仕方が無いので二郎が喋った。
単語を並べただけだ。「アイ、フロム、ジャパン、コウベ!」
皆うなずいた。次に逆に「ソフィア?」と聞いたら「ヤーゴ?」と答えがきた。
後でマリアさんに聞くと理数系の優秀な学校らしい。よく分からない。
逆に男の子で、「スピークイングリッシュ?」と聞いてきた!
あせった。このガキ、どついたろかと思った。
そうしているうちに先生(怖そう)の説明が始まるので、皆名残惜しそうにいってしまたった。ホッとした反面寂しくなった。
帰るとき一部の小学生達が挨拶してくれた。にやけるのが分かるだけに辛い。
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