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ルーマニア概要と紹介 Romania |
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![]() ルーマニアの位置 |
中欧で唯一ラテン民族の血筋を引いている。人々は陽気で明るく、開放的であたたかい国民性を持つ。 |
![]() ルーマニア地図 |
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ルーマニアの紹介 | |
音楽 | |
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ルーマニア民族舞曲 バルトーク(1988~1945)作曲 リリー・クラウス演奏 バルトーク(1988~1945) ハンガリー領トランシルヴァニア出身。クラシック音楽の作曲家、ピアノ演奏家、民族音楽の研究家。 アマゾンで購入。 |
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ルーマニアの風 ヴァイオリン:ホンティラ・クラヴティク ピアノ:竹内祥子 トランシルヴァニア交響楽団 2002年5月に来日。 姫路のコンサートに行った時に購入。 |
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望郷のバラード 天満敦子 2001年、神戸の松方ホールのコンサートで購入。 その時まで「望郷のバラード」について何も知らなかった。 ポルムベスク作曲、望郷のバラードについて (CD解説より) 1977年の冬、外交官岡田眞樹は、ドイツのある町で、哀感に満ちた楽の音を耳にした。感動の思いを伝えるために楽屋を訪れた岡田に、奏者は、イオン・ヴェレシュと名乗り、自分はチャウシェスク政権に追われた亡命ルーマニア人で、ひとりヴァイオリンを友として漂泊の旅をつづけていると語った。 ふたりは再会を約して別れたが、果たしたのは8年後、ヴェレシュが仮寓を設けたスイスの寒村でである。 放浪の楽師は、その夜、岡田に一枚の楽譜を託し、「訪ねること叶わぬあなたの祖国、日本に紹介していただけませんか」と依頼した。曲名は「バラーダ」(詩曲)、作曲家は19世紀後半、オーストリア・ハンガリー帝国の圧制に抗し、夭折したルーマニアの国民的音楽家チプリアン・ポルムベスク。8年前に魅せられた曲である。楽人は譜面を楽器ケースに忍ばせ、毎夜弾いては故郷を偲んでいたのである。 この曲にふさわしい奏者に出会うことができず、数年の歳月が流れた。1992年の秋、東欧出張旅行中に文化使節としてルーマニアを訪ねていた、天満敦子のコンサートに招かれた。現地の聴衆を熱狂の渦に巻き込んだ天満敦子の快演に感動し、直ちに「バラーダ」の日本初演の依頼、承諾を得た。 邦名を「望郷のバラード」とされたこの名曲は、当夜の初演を前にCD化され、大ベストセラーになった。 喜びを伝えるべく、楽人イオン・ヴェレシュの行方を追ったが、消息は絶え、知るものはいなかった。 |
彫刻 | |
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接吻 コンスタンティン・ブラックシーン ルーマニア出身の20世紀を代表する彫刻家。 2007年の京都のフィラデルフィア美術展で、 作品を見て気に入っている。 |
書籍 | |
![]() 歴史本      |
ルーマニア史 |
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![]() 歴史本 |
バルカンの歴史 |
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