ブカレスト

ルーマニアの首都
Bucharest / Bucureşti

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 宿泊ホテルのまわり

首都ブカレスト(現地発音はブクレシュティ)は、カルパチア山脈の南に広がるワラキア地方の南東部に位置する。人口は、2008年現在で約235万人。
20世紀初頭は「バルカンの小パリ」と言われる程、美しい町並みを誇っていたが、現在では旧市街のごく一部と、凱旋門に続く通りに沿って面影を残している。古い教会や、歴史的な建造物は独裁を続けた共産党の手によって、破壊されてしまった。かわりに巨大な建物群がある。故チャウシェスク大統領の野望を形にしたような、旧共産党本部、国民の館だ。
1989年12月、一般市民の虐殺と大統領の処刑という流血革命から15年以上が過ぎ、街の風景は移り変わり、惨劇を思い起こさせるものは少なくなった。2007年から欧州連合に加入した。


国民の館
アメリカの国防総省ペンタゴンに次ぐ規模で、部屋数は3107あり、日本円にして約1500億円が投じられた。
鉄筋のかわりに、鉄道のレールが入っている。
王宮の隣にある クルテア・ヴェケ教会
ブカレスト最古の教会
旧王宮跡
中心部にある旧王宮跡は、「串刺し公」の異名をとり、小説ドラキュラ伯爵のモデルになったヴラド・ツェペシュが、15世紀に築いた砦。大部分は地震や大火で焼けてしまったが、かろうじて残っている部分は、現在も発掘が続いている。
2008年6月
今回はグローバル・コミュニケーション・トラベルの企画、現地カセットプラン「ルーマニア・ブルガリア6泊7日」を選び、申し込んだ。ルーマニアのブカレストからトランシルヴァニア地方を周った後、ブカレストに戻った後、ブルガリアに移動する。
日本からフランクフルト経由でブカレストに着いたのは、夜の12時を過ぎていた。空港に迎えに来てくれた男性が、ガイドと運転手を兼ねる、ルーマニアの旅行会社「VISIT ROMANIA」 のダン・ニカさんだ。ホテルまで向かう車の中で、事前にルーマニアの歴史の本を読んでいた夫は、質問を沢山していた。ダンさんは東京に4年住んでいたそうで、私達の関西弁にも取りこぼしなく応えてくれる。
翌日の2日目は、8時過ぎにトランシルヴァニア地方へ向かい出発した。
 宿泊ホテルのまわり
ブカレストには3日目の夕方帰ってきた。
トランシルヴァニア地方からの帰り、ブカレスト郊外の大型ショッピングセンターによった。新しくできたばかりのきれいで、モダンなショッピングセンターの他に、カルフール、イケアがある。丁度週末でにぎわっていた。
この日は結婚式日和だったのか、あちこちで結婚式の様子を見かけた。ホテルのレストランでも、ウェディングパーティーがあった。ルーマニアでは、ウェディングパーティは朝までするのが普通だそうだ。
夕食は、ホテルの近くの「ヴァトラ Vatra」というルーマニア料理のレストランに行った。民族衣装を着たスタッフは気さくで、写真メニューもあり、料理もとてもおいしかった。

 シナイアからブカレストまでの道
 
 ブカレスト郊外ショッピングセンター
 フランスのスーパー カルフール
 ブカレスト郊外ショッピングセンター
 スウェーデンのホームセンター イケア
 ブカレスト郊外ショッピングセンター内部
 明るくモダンできれい
夕食のレストラン 
ルーマニア料理 ヴァトラ 

 
 
レストラン ヴァトラ内部 



 
サラダとビーフスープ、肉と魚貝の串焼き、チキンの煮込み
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